特集:
2008/04/27 日記HONDA
略称 = ホンダ/Honda
国籍 =
郵便番号 = 107-8556
本社所在地 = 東京都港区 (東京都)|港区南青山二丁目1番1号
電話番号 = 03-3423-1111(本社代表)、+44-(0)1280-844000(ホンダ・レーシング・F1チーム)
設立 = 1948年9月24日
業種 = 輸送用機器
統一金融機関コード =
SWIFTコード =
事業内容 = 自動車・二輪車・汎用製品・飛行機の製造および販売
代表者 = 福井威夫 (代表取締役社長)
資本金 = 860億6,700万円(2007年3月31日現在)
売上高 = 単体:4兆308億8,100万円
連結:11兆871億4,000万円
(2007年3月期)
総資産 = 12兆365億円(2007年3月期)
従業員数 = 単独:26,652人
連結:167,231人
(2007年3月31日現在)
決算期 = 3月31日|3月末日
主要株主 =
主要子会社 =
関係する人物 = 本田宗一郎(創業者)
藤沢武夫(元取締役最高顧問)
外部リンク = http://www.honda.co.jp/
特記事項 =
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本田技研工業株式会社(ほんだぎけんこうぎょう、Honda Motor Co., Ltd.)は、日本を拠点とする大手機械工業メーカー。主に「Honda」のブランドでオートバイと自動車、汎用製品を製造している。新規分野としてASIMOのようなロボットや小型飛行機も開発している。創業者の本田宗一郎は経営者・技術者として著名であり、社名は同氏の姓から名づけられた尤も創業者による会社の私物化を嫌うという観点から本田は自身の苗字を社名に入れたことは間違いだったと後年述懐している。。日本の自動車メーカーとして9番目に設立された。本社は東京都港区 (東京都)|港区南青山二丁目に地上16階地下4階の自社ビルを有する。通称および国内の各証券取引所での表示は「ホンダ」。ロゴタイプ|ロゴはアルファベット大文字のHONDAを赤色でデザインしたもの。2000年末よりロゴを使用しない場面での社名表記として、ホンダのCI(コーポレート・アイデンティティ)に基づくVI(ビジュアル・アイデンティティ)として、ホンダ自身が「コミュニケーションネーム」と呼ぶ表記を用いるようになった。これはアルファベット表記で「Honda」とするもので、ホンダ自身が積極的に用いると共に、報道機関に対し社名の扱いを「Honda」もしくは「ホンダ」の表記を要望している2000年12月21日 ホンダのプレスリリース - グローバル・ブランド・基本ルール制定について。フランス語やスペイン語などはH#音素|Hを発音しないため、「オンダ」と呼ばれる事がある。概要
沿革
戦前より自動車部品などを製造していた東海精機をトヨタグループに売却した資金を元に、1946年、静岡県浜松市山下町(後の山下工場)に本田技術研究所 (旧)|本田技術研究所として開設され、内燃機関および各種工作機械の製造、ならびに研究を開始。1947年にはA型自転車用補助動力エンジンを開発した。
1948年に本田技研工業株式会社として設立。1949年に藤沢武夫を経営全権として迎え、以降、技術の本田宗一郎と経営の藤沢武夫による二人三脚の経営が始まる。
1963年には後年に「スポーツカー|スポーツ貨物自動車|トラック」とも呼ばれることになるホンダ・T360|T360(日本初のDOHCエンジン搭載)で四輪自動車業界に参入した。その後もCVCC、VTEC、VTEC-E、i-VTEC、i-DSI、Honda IMAシステム|IMAにといった高い技術開発力を示してきた。1981年に世界初の自動車用ナビゲーション・システムを完成させた。自動車・二輪車・汎用(発電機、耕運機など)だけでなく、ASIMO(アシモ)に代表される二足歩行ロボットの開発も行っている。このロボットは、ニューヨーク証券取引所の始業ベルを人間以外で初めて鳴らした。また、2003年末には、宗一郎の念願だった航空機業界への参入への第一歩となる試作機「HondaJet」の初飛行にも成功。2004年2月16日には小型ジェット機用エンジンの事業化で、ゼネラル・エレクトリック|GEとの提携も発表。2004年7月には、埼玉県和光市の旧工場跡地にビルを新築、国内本社機能の一部を和光へ移転させた(海外本社機能は港区 (東京都)|港区南青山)。藤沢武夫の「(ホンダの)社長は技術畑出身であるべき」という言葉が今も守られており、現職の福井威夫に至るまで歴代の社長は技術畑出身の人しかいない。また、本田宗一郎、藤沢武夫の両人とも、子供をホンダに入社させない方針であった。その後、本田の長男本田博俊はホンダのアフターパーツメーカーM-TEC|無限を創業した。
創業者一族による会社の私物化の弊害を恐れる本田の信念が貫かれ、縁故採用は一切行わず実力本位の採用を行っている。そのため会社の成長の後もいわゆる「大企業病」(会社の硬直化、官僚制化)に冒されることなく今日に至っている。本田の思想が反映した事例としては、社長室が無い、重役達は一つのフロアを共有しているという特徴がある。業界最大手のトヨタ自動車に次いで広告費を費やしているにも関わらず、トヨタを始めとする他社と比較してテレビコマーシャルに芸能人をあまり起用しない傾向がある。 業務
主業務は、オートバイ、自動車、汎用製品の製造、販売である。オートバイに関してはシェア世界一であり、世界中のほとんどの地域で販売・運用されている。自動車に関しては、2003年には国内の軽自動車を含めた販売台数で、初めてトヨタ自動車に次いで第2位になったが、トヨタ自動車の更なる躍進や日産自動車の反撃により、その後は再び国内販売3位に後退。2007年暦年ベースの国内販売台数ではスズキ、ダイハツ工業に次いで5位と苦戦を強いられた。過去に、本田技研工業の自動車の販売網は、特に旧・プリモ店の母体企業に多い、オートバイ・自転車取扱店、マリーン・船外機取扱店、農機具取扱店、地元有力者の商店などでの委託販売形式を採用していた歴史があるが、直営店を持たない委託販売形式が販売拡大の足かせになっているとされる。軽自動車主体であったスズキ (自動車メーカー)|スズキも、90年代以降、積極的に登録車市場に製品を投入してきており、上位3社プラスマツダを含む5社の激しい市場争奪戦となっているのが日本市場である。北米では大衆車ブランドのホンダ(Honda)と高級車ブランドのアキュラ(Acura)で展開しており、大衆車で大きなシェアを占める。北米における売上げは、大きな収入源となっている。北米を含む海外では、国内では販売していない全地形型車両|ATVや船外機、水上オートバイなども取り扱っている。 中国展開
ホンダの中国展開は、進出競争の激しい各国メーカーの中でも特に成功した部類に入る。1973年に本田宗一郎自ら訪中し、中国展開を決意、二輪車の輸出を始める。1982年には重慶市|重慶のメーカーと技術提携し、現地での二輪車部品生産皮切りに、1992年には、重慶、広州市|広州、天津市|天津に合弁企業による二輪車生産工場を設ける。二輪でのある程度の成功を持って本格的な四輪販売へ乗り出すべく、1993年には香港にHonda Motor Chinaを設立。当時輸入車のみではあったが、四輪の中国でのアフターサービスを行った。本格的な四輪生産は1994年の東風汽車(武漢)との合弁で設立した東風本田零部件有限公司に始まる。1998年には広州汽車(広州市|広州)と合弁し、それまでの相手だったプジョー撤退後の工場をそのまま受け入れ、ホンダ・アコード|アコード、ホンダ・フィット|フィットなどの生産を始める。プジョー時代からの従業員を本田流に指導し、高品質の製品が作り出されるようになった。今では広州本田だけで年産24万台に発展し、広州市のパトカーにもホンダ車が使われている。ホンダが2003年から中国河北省のメーカー双環汽車と争っているスポーツ用多目的車(SUV)「CR−V」の外観設計(意匠デザイン)の訴訟では、2006年3月に中国国家知識産権局がホンダ側の意匠権を「全て無効」とする判決を下した。 主な役員
(2007年4月1日現在) モータースポーツへの取り組み
設立翌年1949年には日米対抗レースにC型モーターサイクルで出場し、優勝するなど当初よりモータースポーツへの志の高い会社とも言える。1961年5月14日に、ホンダのマシンを駆った高橋国光によりロードレース世界選手権|WGPにおいて日本人初の優勝を飾る。WGPでは最高峰のMotoGPクラス(旧GP500クラス)で1966年の初勝利以降、2006年終了時点で通算200勝を達成。フォーミュラ1|F1には、1964年から1968年に単独チームで、1983年から1992年、2000年から2005年は車体の共同開発を含めたエンジン供給として参戦し、2006年から再びオールホンダ単独チーム(ホンダ・レーシング・F1チーム|Honda Racing F1 Team)として参戦。通算72勝(単独チームでは3勝)を達成。社員教育の一環として、社員を3〜4年程度チーム専属として派遣。アメリカ合衆国|アメリカにおいては、1991年より2年間IMSAシリーズのキャメルGTPライトクラスに「アキュラ・スパイスSE90CL」(ホンダ・NSX|NSXのエンジンを搭載)で参戦し、ドライバーズ,マニュファクチャラーズの両タイトルを2年連続で獲得。
1994年から2002年まではチャンプカー|CARTで通算65勝、2003年からはインディ・レーシング・リーグ|IRLで通算27勝(2005年終了時点)を達成している。なお、IRLへの参戦は2009年まで継続することを2005年10月16日付で発表した。
2007年より、アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)のLMP2クラスへ参戦するチームに、エンジンを供給。国内においては、1994年から全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|全日本ツーリングカー選手権にホンダ・シビックフェリオ|シビックフェリオ(1994年〜1995年)及びアコード(1996年〜1997年)で参戦し、1996年から全日本GT選手権及びSUPER GTにNSXで参戦しており、フォーミュラ・ニッポンにも2006年よりエンジン供給している。
社業としてのモータースポーツだけでなく、ユーザーにもモータースポーツを楽しんでもらおうと、ホンダ・シビック|シビックやホンダ・インテグラタイプR|インテグラタイプRによるワンメイクレースを開催している。2004年〜2007年は、「ベルノエキサイティングカップ インテグラワンメイクレース」が各地方シリーズとして開催されている。2008年からは、車両が再度ホンダ・シビックタイプR|シビックタイプRに変更された。また、自転車競技においてもマウンテンバイクのダウンヒル (自転車競技)|ダウンヒル競技に独自開発のマシンRN01を投入し、国内のMTBジャパンシリーズやNORBA、世界選手権などで好成績を挙げている。しかし、様々なレースに積極的に参加する反面、ラリーへの参加はこれまでにない。(プライベーターがホンダ車を使うことはある) 環境への取り組み
1971年には低公害技術であるCVCC発表。米国でマスキー法という環境規制法が成立しており、その規制開始期限までに規制に対応するエンジンは世界中のメーカーが開発不可能と言われていたほど厳格な規制であった。そのマスキー法の条件をクリアしたのが、当時、日本の中小メーカーだったHondaであり、Hondaの名前を世界に知らしめた。翌年から翌々年にかけてトヨタ自動車|トヨタ、フォード・モーター|フォード、クライスラー、いすゞ自動車|いすゞに技術供与。近年は、燃料電池車のFCXの開発、ハイブリッドカー|ハイブリッド車のホンダ・インサイト|インサイト・ホンダ・シビックハイブリッド|シビックハイブリッド・ホンダ・アコードハイブリッド|アコードハイブリッドの市販やエタノール燃料開発などの環境を考えた製品開発にも取り組んでいるだけでなく、工場での生産体系や物資輸送体系の見直し、ツインリンクもてぎ内での環境教育施設運営等、多岐に渡っている。中国内モンゴル自治区通遼市のホルチン沙漠での植林作業を展開し、砂漠緑化活動も毎年行っている。 商品展開
二輪
自転車用原動機を製作したことが社業の始まりとなり、ヒットを記録。その後、原動機付自転車の分野でホンダ・カブ|スーパーカブという空前絶後の大ヒット作を生み、世界のあらゆる地域で使用された。これによって、「スーパーカブのHonda」と知名度を大いに上げ、国際二輪業界において日本のメーカーが覇権を握る下地となった。スーパーカブは全世界通算で6,000万台(2008年4月末時点)が製造され、「世界一の一覧#オートバイ|世界で最も多く製造されたオートバイ」となっている。社の業務として「モータースポーツの振興」を挙げるだけあって、スポーツモデルにも力を入れており、二輪ロードレース (オートバイ)|ロードレースの世界最高峰カテゴリであるロードレース世界選手権 (MotoGP)や プロダクションレースであるスーパーバイク世界選手権(SBK)での実績をフィードバックしたスポーツモデルが好評である。また、公道走行可能なバイクだけでなく、ロードレーサー (オートバイ)|ロードレーサーやモトクロッサーなどのコンペティションモデルの市販とサポートにも熱心である。ほとんどの分野、ほとんどの排気量において優秀なモデルを送り出し、オートバイ生産台数世界第1位の座を盤石のものとしている。2008年からは浜松製作所で生産している中型・大型二輪部門を熊本製作所に順次移管する予定である。熊本製作所に二輪車の新工場を建設し浜松製作所の二輪生産に従事する1,500人は熊本製作所に配置転換される見込み。浜松製作所では自動変速機の生産を強化する。一時期三ない運動により大打撃を受けたが、近年スズキ (自動車メーカー)|スズキ、ヤマハ発動機|ヤマハ、川崎重工業|カワサキといった大手二輪車メーカーらとともに「三ない運動を推進している地域ほど二輪車事故が多発している」と反論を展開するとともに、徳島県内の私立高校と協力して二輪車講習を鈴鹿サーキットで行うなど高校生の交通安全教育に力を注ぎ成果をあげた。 四輪
新車販売時に一部他社が設定する寒冷地仕様を設定せず全国共通仕様にする事で基本的に日本全国価格が均一で、地方や季節を選ばずトラブル無く走る事が出来るが、その分他社の乗用車よりもバッテリー等の部品が高い事がある。環境特性についても、初代シビックを筆頭に優れた量産車を作っているが、ハイブリッドにおいても、1996年に発表したホンダ・インサイト|インサイトの燃費は量産車として、いまだ破られていない。
トヨタ系列などのハイブリッドは電気モーターでの走る・止まる(回生)が主体だが、インサイトはエンジン主体である。
また他社のハイブリッドを始め、シビックハイブリッドなどは無段変速機|CVT方式なのに対してインサイトは5MTという設定で燃費36km/lを達成。インサイトは乗車定員2名と、普通乗用車としては実用性に欠ける(スポーツカーなどを除けば、普通乗用車の定員は4人以上が大半)。それだけに「トヨタにハイブリッド一番乗りを奪われたホンダが、燃費スペック世界一を謳うためだけに作った特殊モデル」という批判も存在する。一方、従来スポーティーなモデルを得意とし、またイメージリーダーとしてきた半面、初代オデッセイ発売までは、レクリエーショナル・ビークル|RVやワゴン(ライトバン)などの商品ラインナップを持たず、販売側では苦戦を強いられていた。しかしながら、ホンダ・オデッセイ|オデッセイを始めとする一連の“クリエイティブ・ムーバー”シリーズの発売を境にRVにも力を入れている。特にオデッセイは今の日本のミニバンブームの先駆者と言える存在で、乗用車並の操縦安定性と運転の楽しさを持ち、1994年10月の登場より3代目となる現在までヒットを続けている。また、いすゞ自動車からOEM供給を受けるなどRVへの取り組みが遅れていたが、ホンダ・CR-V|CR-Vの大ヒットにより遅れを一気に挽回した。ワゴンでもホンダ・アコードワゴン|アコードワゴンを中心に人気を集め、幅広い商品ラインナップを取り揃えている。コンパクトカーの分野では、2002年、ホンダ・フィット|フィットがトヨタ自動車|トヨタのトヨタ・カローラ|カローラを販売台数を上回りトップとなり、2003年にも一時追い抜くなど躍進した。現在も月別販売台数で1〜6位(2004年1〜8月データによる)の成績を維持している。
2006年度、日本国内の省エネ法改正等の車両の省エネ対策の法的強化を受けて、フィットを土台にしたハイブリッド車も開発されていた。構造的にスポーツモデルに適さないとされていた前輪駆動|FF車で、目を見張るほどのスポーツ性を有したホンダ・インテグラ|インテグラ、ホンダ・シビック|シビック、ホンダ・CR-X|CR-Xなどを送り出した。タイプRという快適性を犠牲にし、過酷なサーキット走行までも視野に入れたスポーツモデルをインテグラ、シビック、ホンダ・NSX|NSXに設定している。また、アルミニウム|アルミを電気溶接する際の莫大な電力消費を補うために、工場敷地内に発電所を備えた栃木製作所高根沢工場(栃木県塩谷郡高根沢町)を新規に建設して送り込んだNSXシリーズは、オールアルミボディを備え、国産スポーツカーの最高峰として君臨していた(鈴鹿製作所に製造移管後、2006年生産終了)。近年、昔販売されていたホンダ・S800|S800などのイメージを継承し、ホンダ創立50周年記念車として発売されたホンダ・S2000|S2000は、ホンダでは唯一のFR車である。このS2000は、排気量リッター当たり100PSを越える、2,000ccで250PSを発揮している。しかも、S2000は、他のホンダ車と部品を共用していない(他メーカーの車両と部品を共用している部分はある)独自のプラットフォームであることも魅力である。(先のMMCにて排気量2,200ccとなり、出力も242PSとなった。)北海道の鷹栖町に巨大なテストコースを持ち、そこで熟成され鍛えられたスポーツモデルや四輪駆動|4WDモデルも数多い。2004年10月7日に発売されたホンダ・レジェンド|レジェンドには新開発の四輪駆動SH-AWDを採用し、また、国産初の280PS超の300PS(221kW)を達成した。レジェンドのSH-AWDは、単純な前後の駆動力配分の制御だけでなく、伝達経路内に増速ギヤを設け、より積極的に後輪を駆動することにより旋回性能の向上を図っている。 汎用機械
汎用エンジンを利用した刈払機|草刈り機や芝刈り機などの農業機械、除雪機、船外機、発電機などを生産している。また、トラクターもクボタ製品を販売していた。
小型ジェット機
2006年7月25日に小型ジェット機(Very Light Jets:VLJ)市場への参入を表明。ジェット機開発は創始者、本田宗一郎の夢と言われている。これに合わせて6-7人乗りで最大速度483mph、最大航行距離1,226milesの小型ジェット機を発表し、HondaJetと命名した。他社の同クラスのジェット機は機体にエンジンを取り付けているが、HondaJetは主翼の上にエンジンを取り付けている。これによりキャビンスペースが他社より広くなっている。機体も軽合金ではなくF1と同じカーボンの複合材により軽量化していて、独特な主翼の形状と相まって燃費が向上しているのが特徴である。8月にはHonda Aircraft Company, Inc.を設立し、フロリダ州ベロビーチに本社を置くパイパー・ジェット社と業務提携を行う予定。なお現在同市場はセスナ社、およびエクリプス社の独占市場となっている。また、1962年の新聞の求人広告に軽飛行機技術者の応募広告を出したが、この応募に応じたのは、吉野、川本両元社長であったという。このことは福井威夫社長が日経スペシャル カンブリア宮殿で明らかにしている。 キャッチフレーズ
年表
社史
プリモ店、ベルノ店、クリオ店を「Honda Cars(ホンダカーズ)店」に名称変更、四輪車販売系列を1本化。
小型ジェット機市場への参入を発表。8月にHonda Aircraft Company, Inc.を設立、ビジネスジェット|ビジネスジェット機HondaJetの受注を開始。2010年までに米国連邦航空局(FAA)の認定を受け、1号機の引き渡しを完了する予定。
日本メーカーとして初のフレックスエンジン車(エタノール燃料とガソリン両用エンジン)をブラジルで販売開始。
モータースポーツ史
チャンプカー|CARTシリーズにエンジン供給を開始。
ホンダ・NSX|NSXでル・マン24時間レースに参戦開始。
全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) にホンダ・シビック|Civicで参戦を開始。
WGPでマイケル・ドゥーハンが500ccクラスチャンピオンを獲得、この年から5連覇。
全日本ツーリングカー選手権にて服部尚貴がホンダ・アコード|Accordでシリーズチャンピオンを獲得。
全日本GT選手権 (JGTC) にNSXで参戦を開始。
栃木県・茂木町に日本初のオーバルコースを持つツインリンクもてぎを開業。この年から2006年まで鈴鹿8時間耐久ロードレースにおいて自社製車両が10連覇。
全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) にて中子修がAccordでシリーズチャンピオンを獲得。この年をもって全日本ツーリングカー選手権への参戦を終了。
F1レース活動の第3期をB・A・R|B・A・R Hondaとして開始。
全日本GT選手権にてNSXを使用した道上龍がドライバーズチャンピオンを、M-TEC|無限×童夢 (自動車会社)|童夢プロジェクトがチームズチャンピオンをそれぞれ獲得。
F1で英ジョーダン・グランプリ|ジョーダンへエンジン供給を開始(〜2002年)。
MotoGP(旧称WGP)でバレンティーノ・ロッシがMotoGPクラスチャンピオンを獲得、この年から3連覇。
CARTシリーズでの活動を終了。
スーパースポーツ世界選手権でファビアン・フォーレがチャンピオン獲得、ホンダとしてはこの年から5連覇。
全日本GT選手権にてNSXを使用した無限×童夢プロジェクトがチームズチャンピオンを獲得。
F1アメリカGP(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ|インディアナポリス)でB・A・R Hondaの佐藤琢磨が3位表彰台に立つ(F1の表彰台に日本人が立つのは鈴木亜久里以来14年ぶりの快挙)。また、ジェンソン・バトンが10回の表彰台登壇を果たすなど、ドライバーズランキング3位となり、B・A・R Hondaもコンストラクターズランキング2位となる。
IRLのインディ500|INDY500で初優勝(1位〜7位独占)、16戦14勝で年間優勝(ドライバー優勝=トニー・カナーン)、松浦孝亮が日本人初のルーキー・オブ・ザ・イヤーで3冠達成。
IRLのINDY500で2年連続優勝(1位〜4位独占、優勝者はダン・ウェルドン)達成、17戦12勝で年間優勝(ドライバー優勝=ダン・ウェルドン)。
FIM世界耐久選手権 、鈴鹿8時間耐久ロードレースでワークスチームのSeven Stars Honda 7とSeven Stars Honda 11が1−2フィニッシュ。
F1でB・A・Rの株式を100%取得し、38年ぶりにホンダ・レーシング・F1チーム|オールHondaとして参戦。第13戦ハンガリーGPにてジェンソン・バトンによりF1第3期初優勝、オールHonda体制では1967年第9戦イタリアGP以来の勝利を記録する。
F1でスーパーアグリF1チーム|スーパーアグリF1にエンジン供給開始。
MotoGPでニッキー・ヘイデンがMotoGPクラスチャンピオン獲得。
サーキット事業を強化するため、鈴鹿サーキットランドとツインリンクもてぎが合併し株式会社モビリティランドが発足。
IRLにおいてホンダのワンメイクで全チームにエンジンを供給。
フォーミュラ・ニッポンにおいてエンジンを供給を開始。
ALMSのLMP2クラスに参戦するチームにエンジン供給を開始。
SUPER GTにてNSXを使用した伊藤大輔 (レーサー)|伊藤大輔とラルフ・ファーマンとがドライバーズチャンピオンを、ARTAがチームズチャンピオンをそれぞれ獲得。生産拠点
二輪
四輪
エンジン
二輪
二輪と四輪で共に使用している商標もある。 現行機種
50cc以下(原付一種)
125cc以下(原付二種)
125cc超250cc以下
250cc超400cc以下
400cc超750cc以下
750cc超
輸出車両
海外生産車両
過去の生産機種
50cc以下(原付一種)
125cc以下(原付二種)
125cc超250cc以下
250cc超400cc以下
400cc超750cc以下
750cc超
四輪車種
日本国内現行車種
セダン
*ホンダ・アコード|アコード(ACCORD:1976年- 7代目)
クーペ/コンバーチブル/スポーツカー
SUV/クロスカントリー
*ホンダ・クロスロード|クロスロード【HR-V実質的後継】(CROSSROAD:1993-1996,2007年- 2代目)
ステーションワゴン
*ホンダ・アコードワゴン|アコードワゴン【欧州仕様の名称:アコードツアラー (ACCORD TOURER)】(ACCORD WAGON)
ミニバン/1BOX
*ホンダ・エディックス|エディックス(Edix)
コンパクトカー/ハッチバック/2BOX
*ホンダ・FCX|FCX
軽自動車
*ホンダ・ゼスト|ゼスト(ZEST)
その他(商用車など)
*ホンダ・アクティ|アクティ(ACTY)
海外販売車種
過去の取り扱い車種
今後の車種展開
「今後発売が予想される車種」及び「今後販売終了が予想される車種」、また同様の意味を持つ節の設置についてはプロジェクトとして禁止されています。以下の節の追加には、ソースの明記を義務化する(極力一次ソースを優先する。一般紙・テレビの情報もメーカーに取材した物で、サイトに明記した情報が有れば可とする。)。
メーカーより今後発売が公表されている車種
*新型ハイブリッド専用車《2009年始めに発売予定:7月18日 2007年央社長会見で発表》
メーカーより今後販売終了が公表されている車種
汎用製品
他 原動機
他多数 電動アシスト自転車
航空機
HF118(ジェットエンジン|ターボファンエンジン) 販売店
自動車
2006年3月にこれまでの販売網3系列(下記参照)を1本化、全国各店舗の屋号変更が同年7月13日(2代目ストリーム発表と同日)に一斉に行われた。9月からは順次店舗外装を変更していく予定。
また、2008年秋に「アキュラ」ブランドの国内進出が予定されていたが、2010年以降に延期された。Honda Carsへ順次移行・変更前の販売系列
二輪車
主なグループ企業(国内)
鈴鹿サーキット
多摩テック
ツインリンクもてぎ
画像:ホンダ学園.jpg|ホンダ学園
関連項目
本田技術研究所 (旧) - 本田技研工業の前身
モータースポーツ
スポーツチーム
人物
テレビ・ラジオ提供または提供枠のある番組
現在
仮面ライダーアギト
仮面ライダー龍騎
仮面ライダー555
仮面ライダー剣
仮面ライダー響鬼
仮面ライダーカブト
仮面ライダー電王
仮面ライダーキバ
過去
U・S(U・S改)(終了)
BOON!(終了)
MOBI(終了)
スポーツMAX|スポーツ大MAX(終了、番組内にモータースポーツ情報内包)
スポんちゅ(終了、月曜日のみ番組内にモータースポーツ情報内包)
CMキャラクター
参考文献
脚注
外部リンク
*本田技研工業(オフィシャル)
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